存清

(ぞんせい)




発生と伝来


中国の名匠、存清が専ら製作したもので存清の名がこの技法の名称になったと伝えられています。
国学者で有織故実に詳しかった故猪熊信男氏の説によれば、中国の元の頃特に福建省の福州では土地の豪族達は競って室内を美しく豪華に装飾する風習があり、室内調度品はほとんど存清塗であったといわれています。
従って当時の存清塗師は非常にもてはやされて優遇されていました。わが国に伝来したのは室町時代の中期で、当時の数奇者の間で存清塗として愛好、珍重され江戸時代末期の天保年間に至るまではただ舶来の珍品として愛玩するだけで、その製作を志す者はいませんでした。たまたまその頃、玉楮象谷翁が京都、大阪での修業時代に中国の存清漆器にふれ、張成や存清の技法を究明し、苦心研鑚の末、わが国の古来の漆塗技法を加味して遂に純日本的な存清漆器をつくり上げたのです。
明治の初期、象谷翁の後を受け継いだ実弟、藤川黒斉によって産業化され讃岐存清漆器の名が世に広まるにつれてその需要もだんだん増大して、存清塗の製作を志す業者が次第に多くなりました。明治25年頃から40年頃まではアメリカ、イギリス等へも盛んに輸出され、存清漆器の黄金時代を築き上げました。
その当時は讃岐漆器の80%を占めるほどの生産高を上げ隆盛をきわめたのですが、大正初期以降、業者が濫立して製品が粗製濫造に陥った結果、需要も次第に減少し、遂次衰微の途をたどるようになりました。
昭和29年、国の助成と地元業者・作家の運動により県立高松工芸高校の敷地内に香川県漆芸研究所が設立され、伝統技法の保存と後継者の養成が続けられるようになって、多くの若い有能作家を送りだしました。
この香川県漆芸研究所の設立を期に蒟醤、存清の認識と名声は大いに高まり、技能連携教育制度を活用し、定時制高校卒業資格も得られるように配慮されています。更にこの研究所修了者中、特に技術優秀な者を研究員とし、より高度の技術者養成に努めています。


存清の技法


存清は、黒地・赤地・黄地等の塗上がりの漆の上面に色漆をもって、適当な模様を描き、その図案の輪郭を絵画の骨描式にケン(のみ)で毛彫りをし、あるいは金泥をもって隅取ったり毛彫りした線内に金泥を埋めたものです。その手法は大別して次の三つになります。

|模様の輪郭を細かく毛彫りして彫り口に金泥を埋めたもの。
}模様の輪郭を金泥で骨描き式に筆で線描きしたもの。
~模様の輪郭を細かく毛彫りしたままのもの。

こうした図案・色彩・運刀・素地の形・塗などは自由性に富み、しかも気品ある風雅な趣きをそなえた香川独特の塗り技法です。昭和37年にはこの技術保存のために香川県の重要無形文化財技術保持者として故香川宗石氏が指定され、昭和51年、存清も蒟醤と共に国から伝統的工芸品産業振興法による産地指定を香川県がうけました。


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