技法の発祥寛政年間(1789〜1802年)に堆朱・堆黒の名匠、玉楮象谷翁によって始められたものと言われています。 象谷翁は幼少の頃、父理右衛門の膝元で漆技の修業をするとともに好んで彫刻を学び 天保10年(1839年)33歳にして犀角(さいかく)材印篭(いんろう)に蓮花、鳥、虫などを実に1806個の物象を彫刻し、 藩主松平頼恕に献じて帯刀を許されるほどでした。 讃岐彫りは鎌倉彫りの改良で鎌倉彫りのように全体に彫り出してしまわずに 平面を彫刻刀を使って高い部分と低い部分を作り、それによって模様をくっきりと出し、 その上にスリ漆塗りを数回ほどこし、模様の部分に色漆で彩色を施し乾燥後、 菰打ちをして仕上げたものです。 昭和4年には、堅塗り物として全国に認められていた後藤塗りを肩丸卓机に応用し、 新興さぬき座卓と銘打って阪神方面のデパートに展示したところ、 後藤塗りの上品な味わいと讃岐彫りの力強い風格と重厚な感じが大変人気を呼びました。
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