技法の発祥後藤塗は明治30年頃、高松藩の藩士、後藤太平翁が発案したものです。 「梧桐」塗りとも書かれ初めは趣味的に製作したものでした。太平翁の父は高松藩の町奉行職で他面でも茶道に優れ、蒟醤技法の創作者でもある玉楮象谷翁とも親交がありました。 太平翁は幼少の頃から非常に器用だったことから彫刻の技を象谷翁から学び、又盆栽にも趣味を持ち、支那風の書画骨董を集めて煎茶をたしなむという風流な人柄でしたのでこれらの道具にも興味をもって愛好し、自分でも下げ重や下げ箱のようなものを、のみとかちょんな等で自ら作っていました。 太平翁はたまたま朱の漆だけで盆を仕上げるつもりがあまりにも紅いのでその上に渋い生漆をかけて研ぎだしてみるとなんとも言えない味のあるものが出来ました。これが後藤塗の発祥です。 また、現在では塗りの堅牢さからその他家庭用品や座卓、洋家具にまで塗られるようになりました。昭和51年、後藤塗りも国から伝統的工芸品産業振興法による産地指定を香川県が受けました。 後藤塗の技法後藤塗は挽物、指物などの素地に地固めをした器物の中塗の上に朱漆に少量の蝋色(ろいろ)漆を添加して渋味を付けた漆にして薄く塗り、直に指先で縦横に叩き特殊な斑紋を作り、さらにそのうえに透漆を薄く塗り込み仕上げたものです。完成された直後の後藤塗りは全体に黒っぽく朱色が僅かにちらちらと見える程度ですが、年数が経つにつれて伏漆が透明度を増し、朱漆の時に指先で叩いた斑紋の効果がだんだんと発揮されてきます。すなわち凹部に漆が厚く溜り、凸部の漆は研磨されて薄くなります。このため朱色は鮮やかに発色するし、伏漆にも濃淡が現われ優美な色合いと、光沢にますます磨きがかかり後藤塗りの真価が遺憾なく発揮されてくるのです。また現在では塗りの堅牢さからその他食卓用品や座卓、洋家具にまで塗られるようになりました。
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